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路地町カメラ 【Rojimachi Camera】

目に残ったことや、記録のようなもの。時系列は気にしない

震災1年を前に、写真の力って


震災からもうすぐ1年、写真ブログなので写真のことで

「写真の力」 という表現に、ものすごく違和感を感じ続けている
写真の力とは、具体的に何なのか。


今回の震災は津波や原発のことがメインに語られている、年末あたりから原発のことばかりだ (実際に大問題だが)
しかし実際には、内陸部の人も、福島以外の人も、家がバリバリ壊れたりして不便を強いられている人がたくさんいるはずだ。


阪神大震災の時は主に神戸がクローズアップされて、その周辺都市はスルーされた。
自分が住んでいた市は、ほぼスルーされた。部分的に震度7のエリアがあって、死者も3ケタに達していたのに。
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阪神大震災の後、あちこちに 「がんばろう神戸」 というステッカーが貼られていた。
当時、自分は “神戸でまとめるな!” とウンザリしていた。
東日本大震災では 「がんばろう日本」 だ、ずいぶん範囲が広いな。
たぶん東北の被災者はそろそろウンザリしているころだろう。
強い余震のあった新潟や静岡や長野の被災者は既にウンザリしているだろう。
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自分の場合、阪神大震災から1年も経ったころは、被災したことに同情的に語られるのにもウンザリしていた。
全壊した家や死んでしまった人は戻らないが、現実の中で生きて行くしかなかったし、それが日常になっていた。

正直、遠くから 「がんばろう」 とか言われても、全く、何もうれしくなかった。
これ以上何をがんばれと言うのか? とすら思った。
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写真に力があるかって?

写真の力、なんて言葉、被災した人から出るわけないじゃないか。

写真の力など、無い。  あるのは人の力だ。

被災者が本当に望むものは、震災前に戻ることだ。
そんなことは不可能なのは被災者自身がよく知っている。 全てはもう、記憶の中だ。
時々それを思い出して、心の中でサヨナラ、サヨナラと、と何度もつぶやいて、涙を流すことしかできない。
人の力も及ばない大災害のクソッタレめ!

もし、死んだ人や壊れた家や生活が戻ってくるなら、写真の力を信じようか
1995-c.jpg


写真の力 なんて耳に気持ちイイ言葉を並べるのはやめて、写真は記録に徹した方がいい。
職業で写真を撮るカメラマンや企業は、言葉を多く並べるのはやめてほしい。
ナイーブな日記のような文章は、被災者に何の効き目も無い。


さらに5年、10年と時が経って東日本大震災が「思い出」になった時、
被災者がもはや被災者ではなくなった時、被災の細かいディテールを思い出せなくなってくる。
自分がもう、阪神大震災を細かく思い出せないように。


自分が1995年に被災した後、淡々と状況を写真に撮っていた。
撮っておいて良かったかもしれない、と17年後の今、なんとなく思う。


時間が経過してから、写真は初めて力を発揮する。
それまでは 「写真の力」 とか語らない方がいいと思う。

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